大分県立中津南高等学校
日英のことわざ比較から考える文化の違い
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学校・学年
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高等学校
大分県立中津南高等学校
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発表形式
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レポート・論文
研究の概要
日英両国のことわざについて、共通点・相違点を考察することを通して両国の文化的背景の違いに言及し、ことわざの理解が異文化理解の端緒となりうると述べている。
生徒のアウトプット
- 実践の背景
- 世界には様々な比喩表現があり、それらの表現の多くは人々の生活や、詩や小説などの作品の中から生まれている。その表現は国や地域によって、似たようなものがあったり、使われる状況は同じでも全く違う表し方をしているものもある。以前英語を勉強している時、英語のことわざ表現に出会い、なぜ日本語のことわざと意味は同じなのに表現が違うのだろうと疑問に思ったことがあった。私は、表現の違いにはその言葉の背景にある文化や人々の思想、価値観の違いが関係していると考えた。そして、日英のことわざを比較することで日本と、アメリカやイギリスを中心とした英語圏の国との文化比較ができるのではないかと思い、このテーマを設定した。
- 仮説
- 日本語と英語のことわざを比較することで、同じことわざの共通点や相違点を考察し、日英の文化比較をして、ことわざを通した異文化理解につなげる。
- 調査・研究内容
- 書籍やインターネットを使い、日英のことわざの類義語・対義語、国独自のことわざを調べた。またその表現に関係する文化的背景やその他の表現、ことわざの意味の解釈の違いなどからことわざに表れている文化の違いを考察した。
- 結論
- ○ことわざを日英比較すると大きく分けて次の3つに分類されることがわかった。
直訳すると全く同じ表現になるもの
意味は類似しているが比喩表現が異なるもの
その国独自のことわざであり、適切な類似表現がないもの
直訳すると意味が全く同じになるもの
これには「時は金なり(英:Time is money.)」や「鉄は熱いうちに打て(英:Strike while the iron is hot.)」などがある。これらのことわざの多くは、英米で生まれてそのまま日本語に翻訳されて広まっている。“Time is money.”もアメリカ合衆国建国の父の1人として知られるベンジャミン・フランクリンが若い社会人に向けたアドバイスとして記した言葉で、それが「時は金なり」という翻訳で日本人にも深く浸透している。日本に伝わった正確な時期はわからなかったが、1917年に出版された「国民経済講和.乾」という本の中にこのことわざが記されていることがわかった。日本でこのことわざが広まったのは、西洋化により日本人の時間や仕事に関する価値観が変化していたことが原因と考える。ただし日本で使われている「時は金なり」という言葉は、時間はお金と同じで有限で貴重なものだから、無駄にしないよう努力すべきだ、という教訓的な意味合いが強く、本来の「機会損失」という経済的な意味合いから少し離れている。このように表面的には意味は全く同じでも、広まる過程で国によって微妙に意味に違いが生じることもある。
意味は類似しているが比喩表現が異なるもの
この例としては「覆水盆に返らず」が挙げられる。このことわざは中国が起源だが日本でも馴染みの深いものになっている。英語では“It is no use crying over spilt milk.”(こぼれたミルクを嘆いても無駄だ。)という。欧米は牧畜文化であり、牛乳はバターやチーズなどとともに古来から主要な食材だったことが関係しているそうだ。英語の慣用句にはmilkを使った比喩表現が他にも見つかった。
white as milk(真っ白い)milk and water(水で割った牛乳 気の抜けた話 めそめそした感情)the milk in the coconut(物事の核心 要点)milk and honey(豊かな生活の糧)turn the milk sour(下手な歌がミルクを腐らせる) など
一方、日本で庶民が牛乳を飲むようになったのは明治時代の文明開花以降のことで、古来から稲作が中心の日本人の生活に密接に結びついていたのは水であり、水を使った慣用句が多く存在する。
水に流す 水を差す 水と油 水心あれば魚心あり 水清ければ魚住まず 水に懲りて湯を辞す 水入りて垢落ちず 水積りて川をなす 水入らず 水の滴るよう など
同じ意味のことわざでも比喩表現に違いが現れるのは、それぞれの地域や文化で身近なものや大切にしているものに違いがあるからだと思われる。
その国独自のことわざであり、適切な類似表現がないもの
英語には“The squeaking wheel gets the grease.”(日:きしむ車輪は油をさしてもらえる。)ということわざがあり、不満など言いたいことがあればはっきり言ったほうがいいという意味である。日本にはこれと類似の表現はなく、対義語として「出る杭は打たれる」などが挙げられる。欧米のような自由競争社会では、まず行動することを重んじ自分の意見をはっきり主張することが求められる。一方、濃厚社会だった日本では集団で生活していたため、平和を求めて協調性が重んじられていたことがわかる。そのため、目立ちたがり屋やいばりたがり屋の人には「出る杭は打たれる」や「高木は風に折らる」というようなどちらかというと批判的な表現が使われ、反対に謙虚な人には「実るほど頭を垂れる稲穂かな」というように肯定的は表現が使われるのかもしれない。
“silent men, like still water, are deep and dangerous.”(日:黙っている人は静かな流れのようにそこが深く危険である。)このことわざは無口な人は感情を表に出さないため何を考えているかわかりにくく、一見冷静で温厚に見えても、内心には激しい思いや怒りが募っているかもしれないということを表している。この表現からも英米では自分の意見をはっきりと主張することが求められていることがわかる。一方日本では、「言わぬが花」や「言わぬは言うに勝る」という表現からわかるように、口に出さない方がかえって良いとされることも多い。日本語では主語が省略されることが多かったり、間接的な表現が好まれたりするのも、日本人の多くは語らない文化が現れていると思う。
また“Englishman’s house is his castle.”(日:イギリス人の家は城である。)ということわざがある。このことわざにはプライバシーを大事にするイギリス人の国民性が表れていると考えられる。日英のことわざ辞典を見ると、これと類似しているものとして「親しき中には礼儀あり」が挙げられていた。ただし、この表現はプライバシーというよりも礼儀作法や上下関係の大切さに注目した表現と考えられ、重んじているものに少し違いがあるように感じられる。
日本と英米のことわざを比較してみると、同じような意味でも若干ニュアンスが違っていたり、比喩として使われているものに差異があるものが多くあった。またそれぞれの国独自のものもあり、それらには特に文化や考え方の違いが表れていると感じた。また日本では明治時代以降、海外との交流が増え西洋化が進んだことで、欧米の価値観が取り入れられそれらが日本社会で重視されることも多くなった。英米から翻訳され日本で広まったことわざを調べることで、近代以降の日本人の考え方の変化も考察できると思う。外国のことわざを知ることでその国での身近なものや伝統的な価値観、国民性などを垣間見ることができる。ことわざを知るだけでその国の全てを知ったことには当然ならないが、異文化理解のきっかけにすることはできるのではないかと思う。
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